よく「心が通い合う○○○」というフレーズを聞くことがあるが,これはどういう状態なのだろうか?「心が・・・」というくらいだから単に言葉で語り合うのとは違うんだろうと思うし,実際に使われる場面を思い出しても,やっぱり言葉以上の「何か」で通い合う状態なんだと思う。
恐らく,心が通い合うの本質的状態というのは「態度で確かめ合う」状態なんじゃないかと思ったりする。
坂本九さんも歌っている幸せなら手をたたこうという歌の歌詞はまさにこの心が通い合うという状態を表現しているような気がする。つまり,幸せというひとつの心の状態を手をたたいたり足を鳴らしたりしながら「態度」で示しましょうというのである。この歌はスペイン民謡らしく,さすが西洋人らしい思想の含まれた歌詞だなーと思う。
この幸せなら手をたたこうの歌詞に対し,日本には以心伝心という言葉がある。辞書をひくと
いしんでんしん [1]【以心伝心】
(1)〔六祖壇経「法即以レ心伝レ心、皆令二自悟自解一」〕
禅宗で、言葉では表せない仏法の神髄を無言のうちに弟子に伝えること。
(2)考えていることが、言葉を使わないでも互いにわかること。
三省堂 『大辞林』
ということらしく,基本的に私たちが日常使っているのは(2)のほうの意味だろう。これは,幸せなら手をたたこうと同じような意味じゃないかと一瞬思ってしまうが,どうもそうでない気がする。以心伝心の場合,態度がなくても心が通じる状態を指す意味が強いのではなかろうか。つまり,対象とする相手の行動や境遇を比較的長時間にわたり観察する中から想像される相手の相手の心の状態を示している意味が強かろう。
現代の日本ではどうだろうか,以心伝心より幸せなら手をたたこうのほうが心が通い合うためには有効な方法になってきた気がする。